2007年 12月 29日
出張で行った「雲仙」
そう、雲仙は有名な火山学者であるクラフト夫妻の最後の地。
ちょっと前にあったテレビなんかでも取り上げられていた人たちだ。
雲仙というのは、阿蘇と同じく実はカルデラを形成していたりする。
見たまま普賢岳を中心としている。
そして…この昭和新山が溶岩ドームを形成し、崩れ、また成長し…を繰り返したとこだ。
いまだに200℃近い温度があるらしく、終息宣言は出されたけど…まだまだ立ち入り制限区域が多い。
というか、立ち入り制限されてるから、水無川の工事をしている重機も無人のラジオコントロール。
今回、わざわざエントリー作ったのは…見て回ったとこすべてが大切だと思ったから。
大自然の脅威、なんていうと…すごくちっぽけな表現だ。
それを分かってほしい。
最初に行ったのは、火砕流の通った跡地。
さっきも言ったけど、立ち入り制限が厳しくて、安全に入れるところはたったの一か所しかない。
いまはススキの野っぱら。
でも、よく見てほしいのは…山の中腹なのに…すごく平らに見えない?
下の島原の町まで、こんなに遠く離れてるし、標高も高い。
言うまでもなく、ここは火砕流によって埋められた谷なんだ。
途中のコンクリートの建造物は、水無川の土石流を止める砂防ダム。
続いて行ったのは「平成新山ネイチャーセンター」
噴火してできた平成新山がよく見えます。
どれくらい?
これくらい。
ちなみに、ここは平成新山噴火後の植物植生調査みたいなことをやってます。
山を下る最中に…駐車場がありまして、この後行くとこよりよく見えますってことで…。
無人重機の作業っぷりを観察。…て、動いてないじゃん。
しかし…通称「定点」を間近に見ることに。
それから移動して、旧大野木場小学校へ。
ここは2回目の大火砕流によって焼失した小学校で、当時のまま保存されている。
厳密に言うと…大火砕流の本流はずいぶん向うを流れたんだけど、曲がり切れなかった岩粒(サージ)が降り注いだ結果、その熱により発火したとのこと。
見た感じ…広島の原爆ドームを思い出させる。
それもそのはず、このときの火砕流のエネルギーを換算すると…原爆の半分くらいだったとのこと。
その何十分の一、何百分の一のパワーで…こうなる。
上の写真の左手に新しい建物があるけど、ここが記念館になっていて、火砕流や土石流の全体的な写真を展示している。
展望台からは…さっき見た「定点」がみえる。
「定点」というのは…報道取材陣が居たところ。
一回目の大火砕流に飲み込まれ、43人もの人たちが亡くなったとこ。
元々はちょっと小高い丘であり、多少は安全に溶岩ドームが見えていたとこらしい。
今はほとんど高低差がないね。
そして、この100m先、左手の緑色の重機があるとこ辺りに「クラフト夫妻」が居たとのこと。
そんな説明を聞いたあと、最後の見学地「雲仙岳災害記念館」へ。
ここの見どころは大噴火シアター?島原大変シアター?火砕流の道?
いやいや、「378秒の遺言」でしょう。
平成3年の一回目の大火砕流に巻き込まれ、亡くなった日本テレビのカメラマンが写した最後の映像。
平成14年にカメラが掘り出され、残っていたテープを復元したもの。
ほとんどノイズだし、よくわからない。でも、訴える力はほかのどんな物より迫力がある。
残念なのは、この「378秒の遺言」は有料ゾーンにあるということ。
でも、見てもらいたい。
機会があれば「解かれた封印 雲仙大火砕流 378秒の遺言」を見るのもいいのかもしれない。
(再放送があればだけどね。)
by hassy21st
| 2007-12-29 23:04
| お仕事!